13年目に突入
ここの所急に忙しくなったのと、先月は離婚の危機にある親友の事や、その他メディカルな事など、実は毎日結構頭の中がいっぱいだったので何気なく通り過ぎてしまいましたが、
今ふと気がついたら、在米生活も今年の3月の半ばで13年目に突入したという事に気がつきました。
7、8年目の時とは違って、やはり10年超えた所位から、こっちが長くなったな〜とひしひしと感じるように。
そして、昨年11月に2年ぶりに日本に帰国した時に感じたのですが、色々な面でAmericanize(Carifornianize)されてしまったっている自分を改めて実感(苦笑
日本に帰っても楽しい事はあっても、居心地が良いか?と言うとそうではないという事を人間関係や社会の中で感じた訳です。もう日本に帰って生活をするというのは無理だろうな〜
まあ私の場合も、夫の場合も、家族の中のblack sheepという感じで、更にお互い日本でもドイツでも収まりきれなかったというか、完全に枠からはみ出していたタイプ。
なので、この国に来て、というかこのインターナショナルなベイエリアにたどり着いて、ようやくリラックスしてありのままの自分で息をする事ができるようになってような感じです。
お互いこのサンフランシスコを自分のホームタウンだと思っているので、彼も私も日本やドイツにいつか1、2年づつ経験として住みたいね〜と言う夢はあっても、こちらを引き払って日本かドイツに移り住みたいという願望は両方ともなし。彼なんてヨーロッパに帰るならフランスかイタリーと言っています。まあ今はEUの事もあって、ヨーロッパ内でどこに住むか、というのは自分次第。国際結婚をして、どこに住みたいか?という意見が割れると、それもまたどちらかが苦労する事になるのを周りのカップルなどを見て知っているので、2人の路線が同じな事は有り難い事です。
そうはいっていても、これが在住20年とか自分が、70歳とか80歳になると、自分の母国に対する慕情というか、ルーツに対する距離感みたいなも変わってくるかもしれません。。。その気持ちの変化を見るのもまた楽しみだ。
10年以上こちらにすんでいると、、こちらでであった日本人の友人を始め、アメリカ出身ではない友人達は、永住するか、やはり将来の拠点は母国を考えているか?等、やっぱり色々変わってきます。
学校などで知り合った日本人の友人は一人をのぞいて、皆、帰国か他の国へ。
仲良しのスイス人のカップルなどはサンフランシスコが大好きですが、最近女の子ができて、やはり子供の教育などを考えると将来はスイスに帰国かな?というし、
一人っ子のドイツ人の女の子も、こちらでビザもあり上手くいっているけど、やはり両親の事を考えるといつかは帰国するつもり、、と。
永住するつもりが無いとなると、家を買ったりする事等で悩む事も。。でも賃貸でずっとすみ続けるにはかなり物価の高いベイエリア、、、難しいです。
ちなみに最近サンフランシスコの不動産はぐんぐんまたあがっていて、2ベッドルームのちょっといいかな〜と言う賃貸アパートをこの辺りで探すと$3800位からとか、、、(汗 そして昨年は売りに出されている不動産が本当に多かったのですが、今は本当に少ないです。
また、永住もしくは長期滞在となると、ビザの事も考えなくてはなりません。どんなにアメリカに住みたいと思っても、ビザか永住権が無いとすめないし。「これだけ頑張っているのに!!」と周りの誰もが思うシェフの友人もどうしても長期就労のできるビザが取れ無いのです。それでも彼の中では日本に帰国という選択は一番下位にあり、私達もいつかきっとかれにはビザもしくは永住権が取れるとただただ信じて祈るのみ。
アメリカ、もしくは海外に住んでいると、本当に、自分の意志だけではどうにもならないこともたくさんあります。。。また、国籍の違うもの同士の国際結婚にはまた違った悩みや問題もあります。
これはアメリカに来てから鍛えられた事ですが、結構何が起きてもド〜ンと構えられるようになったというか、ある意味、Americanizeされた事の一つなのですが、何が起こっても食らいついていけば、皆生trスで着ない事はない、と言う精神的な図太さです(爆 何と言うのでしょうか、自分がマイノリティーである事は、英語が第二カ国語であると言う事は決してハンデである事ではないと、自信を持って思えること、とでも言うのかな?たとえ言葉がきちんと話せなくっても、自分の意志は伝えるべきであって、諦める必要も無いと言う事です。
かなり長くなってきた海外生活、なんとかアメリカでは生きていける自信がついたので、この先は、グローバル化を考え、何処の国に行っても生きていけるような、サバイバル能力と精神力だけは培っておきたいな〜と思います。